
名前の呼び方考 怎么叫名字
2024/05/25
2017年12月、日本生まれのパンダのシャンシャン(香香 Xiangxiang)と、当時の日本の外務省杉山(シャンシャン Shanshan)事務次官の苗字の発音が似ていることから、ちょっとした珍事が起き、日本のネットで話題になった。「香香」も「杉山」も日本語の音で表すと「シャンシャン」になるが、実は日本語で「シャン」と聞こえる中国語音には、[xiang], [shan], [shang]の三種類がある。さらにそれに四声(中国語の四つのアクセント)がつくのだから、やはり中国語の音は難しい。
音の難しさに限らず、漢字で書かれた名前を中国語の音や日本語の音で読むと、想定外の事態が起きることがある。
中国留学中に仲良しだった韓国人留学生。彼女の漢字名を中国語音で読むと[Heng Zhu]になる。自分で[Heng Zhu]か[Zhu]と呼んでと言っていたので、その通りに呼んでいたら、中国人の友達に、「それはやめなさい」とたしなめられた。「どうして?」と聞くと、「[Zhu]はブタ[猪 zhu]じゃないか!」と返答。確かにそうである。
その逆もある。私の中国人の友人は、息子さんを苗字を重ねて呼んでいた。中国は夫婦別姓で、子供はどちらかの苗字を名乗る。そのため母親である友人と息子さんとは苗字が違うのである。また、苗字を重ねて呼んで愛称にするのも珍しくはない。息子さんの苗字は「陳」。中国語での愛称は[陈陈 Chen chen]。当時、彼女は札幌、ご主人は川崎、小学生の息子さんは上海の祖父母の家で暮していたが、冬休みを利用して息子さんが札幌にやって来た。久々に息子さんと楽しい時間を過ごした彼女であったが、その後、私に困惑した面持ちで訊ねてきたのだ。「大通の地下街で息子の名前を呼んだら、みんなびっくりしてこっちをみたの。どうして?」日本語が堪能な彼女は、日本語の音で「陳陳」と息子さんを呼んでいたのである。ああ、これは教えてあげないといけないな、と思い、日本語でのその音の意味を教えてあげた途端、彼女は爆笑、しばらく二人で大笑いをしたのだった。
学生に中国語を教える際、平仮名の名前の学生には、そのままでは読めないので自分で漢字を当ててもらう。そんな時、中国語音で悪い意味にならないように気をつけている。
2017年12月,因为在日本生的大熊猫【香香 Xiangxiang】的发音和当时日本外务省【杉山 Shanshan】事务次官的姓的发音相似,发生了一件奇怪的事。这在日本网上当了热门话题。在日语里【香香 Xiangxiang】和【杉山 Shanshan】是一样的发音,是「シャンシャン」。其实日语的「シャンシャン」在汉语的发音有三种,[xiang], [shan], [shang]。还有各个发音有四个声调,还是汉语发音很难。
不只是发音很难,用汉语发音或者日语发音说汉字的名字,有时候会发生想不到的事情。
在中国留学的时候有韩国朋友,她也是留学生。用汉语发音说她的汉字的名字的时,她叫[Heng Zhu]。她自己说,【请叫我[Heng Zhu]或者[Zhu]。】所以我叫她[Heng Zhu]。有一天我中国朋友听到[Heng Zhu],他就批评我,【不要叫她[Heng Zhu]!】。【为什么呢?】我问他。【[Zhu]是[猪 zhu]!】他说的对。
反之亦然。有一个中国朋友称呼她儿子【姓+姓】。在中国夫妻有不同的姓氏。孩子们只取一个父母的姓氏。所以我朋友(母亲)的姓和她儿子不一样的。还有人重叠使用姓氏并将其作为昵称的情况并不少见。她儿子姓【陈】。汉语的儿子昵称是【陈陈 Chenchen】。那个时候,她在札幌,她丈夫在川崎,她儿子在上海的姥爷姥姥家住。小学生的她儿子寒假来札幌旅游,她跟儿子一起过得很愉快,可是然后她困惑地问我。【我在大通地下街叫我儿子,大家都惊讶地看着我。为什么?】她说日语说得很好,所以她用日语的发音【Chinchin<阴茎的意思>】叫她儿子。啊,我应该告诉她这个理由。她一知道这个意思就大笑了。我们俩大笑了好一会儿。
我教学生们汉语的时候,只有平假名的名字的学生要自己决定汉字的名字。因为汉语没有日语平假名的发音。那个时候我告诉学生们不要选汉语发音意思不好的字。

藺相如が好き 喜欢蔺相如
2024/04/03
藺相如が好きだ。藺相如は中国戦国時代の趙の丞相で、「完璧」「刎頸の交わり」が有名であるが、私は特に「黽池の会」の逸話が好きだ。
秦の昭王に、黽池での友好の会に趙の恵文王が呼ばれ、丞相の藺相如がこれに随行する。場所的に趙には不利であるが、行かなければ臆病だと思われ侮られる。半ば死を覚悟しての出立である。
友好の宴会であるはずなのに、趙の恵文王はそこで瑟を弾かされ、「秦王は趙王に瑟を弾かせた」(趙王は楽士レベルだよ)と記録管に記載され侮辱されてしまう。それに我が王の面目を保つために立ち上がった藺相如。秦の昭王を半ば脅して缻(酒の入った甕)を叩かせ、記録管に「趙王は秦王に缻を叩かせた」を書かせたのである。缻を叩くのというのは、現在で例えるなら宴会で盛り上がり食器を箸で叩いて興じるようなもので、上品な行為とは言えない。命を顧みず、君主の面目を保った勇敢で立派な行いであり、現在でも高校の漢文の教科書に出て来る逸話だ。
ところが、最近、「将軍」というハリウッド制作ドラマ(リメイク版)を見てショックを受けた。自分の殿を逆賊扱いされた臣下が「恐れながら、我が殿は法令に準じておられまする。かような根も葉もない疑惑で逆賊扱いされるとは。」と声をあげ、腰の刀を半分抜いてしまう。我が殿の名誉のためにした行為なのに誰も擁護してくれない。それどころか、ハッとした臣下は、「切腹をお命じください。我が一族郎党を根絶やしに」と願い出てしまう。周囲からは軽率な行為と批判され、赤ん坊まで死ななければならないのである。
何てことだ!
何が悪いのだろう?上の者に歯向かったことだろうか。それとも半分でも抜刀したことだろうか。抜刀による刑罰なら、水滸伝にも出て来る。軍人が嵌められる話だ。宮中に呼ばれ、「素晴らしい剣があるから、見てごらん」と渡された剣を鞘から抜いた途端、「宮中で剣を抜くとは、この狼藉者め!」と捕らえられ、流罪になるのだ。剣を全て抜いても流罪。
藺相如が立派な人物として何千年後まで遠い外国においても崇められ、日本では似た行為をしても家族や使用人諸共死刑とは、どうにも納得がいかない。
この「将軍」というドラマの原作者は、ジェームズ・クラベル。イギリスの小説だ。イギリス人の小説をアメリカのハリウッドでドラマ化。制作頭脳は日本人ではないが、日本でも大人気でリメイクまでされているのだから、日本人の心に響くものがあるのだろう。
国が違えば文化とはここまで変わってくるのか。私はやはり藺相如が好きである。
我喜欢蔺相如。蔺相如是中国战国时代赵国的丞相,他的【完璧】【刎颈之交】的故事非常有名。不过我特别喜欢【渑池之会】的故事。
秦昭王邀请赵惠文王去渑池参加一个友好会,丞相蔺相如陪赵王去。那个地方对赵国不利,可是如果不去的话,赵王会被视为胆小鬼而被轻视。他们已经做好了有去无回的准备。
这本来是一场友好的宴会,但秦王让赵王弹瑟。秦国史官写道“某年某月某日,秦王与赵王一起饮酒,令赵王弹瑟。”(赵王好像跟乐师一样。)赵王被秦人侮辱。为了赵王的面子,蔺相如站起来。叫秦王敲一下缶,回头招呼赵国史官写道:“某年某月某日,秦王为赵王敲缶。”敲缶的行为不是高雅的,就像现在喝酒醉的人用筷子敲盘子一样。蔺相如不顾生命为赵王挽回尊严的行为机智又勇敢。现在日本的高中课文中也常常看得到这个故事。
然而,最近看了【将军】美国好莱坞出品的戏剧(重拍版),我震惊了。当自己的君主被视为叛徒时,臣下说;“恕我冒昧地奉告,我的君主完全依法,因这么无端怀疑而被视为叛徒。”说着从腰间拔出一半剑。他为了君主的面子这么做,可是却没有人拥护他。臣下突然说;“请命令我切腹,包括我的家人以及佣人们全部都死。”周围的人批评他的极其轻率的行为,连他的婴儿也要死,
我的天啊!
他有什么错?因为反抗了地位高的人?还是因为拔出了一半剑吗?在水浒传里看到拔刀的惩罚。有一个军人被陷害的故事。他被召入宫,有人假装给他介绍一把好剑说,“请您看看这把好剑。”可是当他一拔出剑立刻就被捕获。“在宫里拔刀!你这个暴徒!”他被判流放罪。即使完全拔出剑也是同罪。
蔺相如在中国和外国被当作伟人崇拜几千年。但在日本类似的行为却是要求让家人和佣人一起被死,我不能理解。
【将军】这部戏剧原作者是詹姆斯・克拉维尔,英国人。英国小说改编美国好莱坞戏剧。所以创作者的思维不是日本人的思维,但在日本也非常受欢迎,还有重拍版。这部戏剧一定触动了日本人民的心。
不同国家的文化会又这么大的变化吗?我还是喜欢蔺相如。
